モトマチ桜蜂蜜カステラ

 2年ほど前からここ元町で養蜂が始まった。

元町蜂蜜プロジェクト!  有志が集まって活動を通してこの元町を活性化させ、人と人とのつながりを楽しみながら深めようというとても素敵な集まりだ。しかも都会でありながら自然とも

触れあえ、ともすれば忘れがちな四季折々の感動も分かち合える。そして何よりすばらしいのは100%純粋な蜂蜜のフレッシュで味の濃さといったらないことだ。本当に驚いた。

仕事柄フランス各地の蜂蜜は食べ歩いているし、実際お菓子にもよく使う。が、フレッシュなことではフランス産のものに優るとも劣らない、特に桜の蜂蜜に一目ぼれしてしまった。

これを使ってお菓子を作ろう! すぐに浮かんだのは南仏の銘菓’モンテリマール’だった。思った通り、スペイン産のナッツ類との相性もバッチリで一粒食べれば蜂蜜とナッツの香りが

口の中で炸裂する素晴らしい出来上がりだ。見た目も可愛く女性に大人気だ。

そしてもうひとつ、数年前からあこがれていた’カステラ’作りだった。

フランス菓子屋がカステラだなんて思われそうなのだが、フランスにもよく似たお菓子があるのです。蜂蜜をいっぱい使った’パン・ド・エピス’というものが。ホワッと柔らかいカステラに比べて少しかたい食感とスパイシーなところが違うのだけれど。どちらも蜂蜜をたっぷり使ったビスキーということでは共通している。おまけに日持ちがするところも同じだ。

何度も試作してようやく納得のいくものに仕上がった。この4月には横浜そごうのイベントにも販売させていただくことができ満足している。

'本当に元町で蜂蜜が採れるの? ’どれだけのお客様に聞かれたことか。そのたびに胸を張って’元町産の純粋な桜の蜂蜜ですよ。いい香りでしょ? 元町でしか味わえない蜂蜜のカステラ是非召し上がって下さい。’ と。

この蜂蜜との出会いがなかったら存在しなかったに違いない桜の蜂蜜のカステラあなたも如何ですか? キレのよさも自慢です。

                                森田 英子

                                                                               

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フランス菓子への思い

 先日、六本木の国立新美術館へ、来日中のオルセー美術展ポスト印象派を見に行った。

 パリのオルセー美術館へも幾度か足を運んだことがある。見覚えのあるゴッホ、モネ、ゴーギャン、セザンヌなどのすばらしい作品が数多く展示されていた。

 この10年間、毎年フランス研修旅行を企画し、生徒さん、そのご家族とともにフランス各地を巡ってきた。地方菓子、料理を通してフランスの食文化に触れる旅だ。しかしながら毎回、食だけにとどまらず、フランスやヨーロッパの歴史、宗教、文化に触れる旅でもあった。南仏アルルではゴッホ、ブルターニュ地方ポンタヴェンではゴーギャンの足跡をたどったし、各地で教会を訪れたりもした。

 そもそも、初めてフランスへ行こうと思い立ったのは、ゴッホの眠るパリ近郊のオーベルシュル・オワーズへ行きたかったから。モネの家があるジベルニーへも訪ねることもできた。ゴッホのお墓は刈り入れの終わった麦畑の片隅に、弟テオの墓と共にあって、秋風に吹かれながら殺風景な佇まいだった。二人とも自分の作品が後年、こんなに人々に絶賛され、愛されるなんて思ってもみなかったことだろう。

 そんなことを考えながら絵を見ていたら、これまでの旅の情景が思い出されて、なんだか涙が止まらなくなってしまった。それらはまさに自分のフランスでの旅の足跡そのものに思えたからだ。フランスへの思い、フランス菓子への思いが一気に溢れ出し、自分自身の秘めた情熱にあらためて気付かされたのだった。自分の歩んできた道がそこにあった。ここまで20数年の道のりだった。                      

                   森田 英子

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6月のお菓子教室だより

 教室では色々な生徒さんとのふれあいが数多くある。

皆さんとても熱心に受講していただき、私も教えがいがあるというものだ。

そんなある日、1年目コースの最後のメニュー ’モワール・ショコラ’を作っている時のことだった。木べらでチョコレート生地を混ぜるのだが、決まった混ぜ方がなかなかできなかった

生徒さん達だったのだが、その日はどの方も決められた方法で黙々と混ぜているではありませんか。とても嬉しかった。'皆さん、階段を1歩上がったわね。’と思わずつぶやいた。胸がジンとした。ああ、この1年どの方も熱心に教室に通って下さりがんばっていたんだなとあらためて実感した。私自身も励まされた嬉しいレッスンだった。

                                   森田 英子

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Eiko Morita版‘幸せのレシピ’

幸せのレシピ’ 以前こんな題名の映画があった。美しいパテイシエールと素敵な料理人の恋のお話。

これからお話しすることは、残念ながらパテイシエールこと私の話ではない。私のお菓子・お料理教室へ通われている生徒さん達のお話だ。

数年前から私の教室は、ご結婚、ご出産ラッシュである。皆さんが幸せになることは私としてもとても嬉しいことである。実はこれにはちょっとしたジンクスがことの起こりなのだった。ある生徒さんのお友達が、新年の初詣で1000円のお賽銭を投げたところ、その年に結婚が決まったというのだ。その彼女も半信半疑ではあったにしろ同様に1000円のお賽銭を投げたところ、ご主人との出会いがあり、すぐにご結婚されたのだった。今では2児の母である。

こんなエピソードを実習の合間にお話ししていたところ、お年頃の生徒さんが多い為、実際に試される方たちが次第に増えてきた。私の二女も試したその年に入籍、翌年結婚した。実は私もと別の生徒さんから先日も告白されたばかりだ。お母さまに、‘先生にお礼を言いなさい。1000円で結婚相手が見つけられたのだから。’と。その生徒さんも1000円組だ。本当に効果がでるので不思議でたまらない。

未婚者ばかりじゃと、昨年からお正月早々、七福神巡りをして生徒さん全員に幸あれと、隅田川へ有志で出かけている。ご利益のある人、今はない人さまざまだが効果はある。 ‘ 幸せは待っていてはだめよ。自分から迎えにいかなきゃ。‘というのが私の口癖だ。

しかしたとえジンクス通り、彼または彼女と出会ったとしてもその後が大切だ。そのチャンスを如何に自分のものにすることができるかだ。日頃レッスンで努力されているその忍耐力と前向きな姿勢がチャンスを掴むポイントなのではないかと。忙しい仕事の合間を縫っての自分磨きが、その気持ちが成功の秘訣であると信じている。もちろん、‘幸せにつながるレシピ’もそれを支えているのだと。

教室はそんなこんなで、いつも笑い声が絶えない。この教室へいらっしゃる生徒さん、お客様が幸せな気持ちになれるよう、私も毎日‘幸せにつながるレシピ’でお菓子作り、お料理に取り組んでいる。                   

フランス菓子・料理教室Eikomorita 森田 英子

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神奈川グルメフェステイバルを終えて

この4月、9日間ではあるがデパートでの販売という初の体験をした。何もかも初めてのことで、初日を終えるまでは期待と不安が交錯していた。
商品は4、5年前から教室で販売している、‘モトマチ塩プリン’(プレーン、シナモン、ブラン)、そして開港150周年を記念して考案した‘元町アン塩ダックワーズ’と‘オレンジのフィナンスイエ’の5種類。

商品にはもちろん自信を持っているが、どうやって一般のお客様にお買い上げいただくかが私の一番の課題だった。感じのよいパッケージ、並べ方、売り方など、色々な点をあらためて検討。商品を製作することよりも、前日までそういった雑事に追われてしまった。
商品を世に送り出すというのは大変なことだ。今まで何気なく色々なものを手に取り買う側だったのが、今度はお客様に選んでいただく立場となった。教室での販売歴は長いのだが、今回はお客様への責任だけではなく、関係部署への影響を考えると安易なことでは受け入れていただけない。しかも失敗は絶対許されない。もう一度はないのだ。“責任”その二文字がずっしりと肩に重い。
そんなプレッシャーの中、デパートでの販売がスタート。様々なお客様でいっぱいだ。声を張り上げ私も売り場に立った。疲れたなんて言ってはいられない。教室の生徒さん、友人、家族も皆私を応援し、手伝ってくれている。本当にありがたいと思った。人って本当にすばらしい力を持っている。
一緒に出店しているお店もそれぞれ真剣だ。お客様の応対、レジ、パッケージなど勉強になることばかりだ。又、お客様からも学ぶことも数多く、なんだか生まれ変わったかのような日々だった。

今年は生まれ変わるということが自分の課題だが、今回の経験はまたひとつ、生まれ変わるための良い機会だったような気がする。これからも、積極的に新しい経験を積み重ねていきたいと思っている。
そしてもうひとつ、多くのお客様にここ元町の教室、‘フランス菓子・料理教室 Eiko Morita’の存在を知っていただけたことが、何よりも嬉しかった。しかもこのゴールデンウイーク中に早速お店にいらして下さったお客様、本当に感激でした。

準備をお手伝いいただいた方々、横浜ウオーカー編集部、そごうのスタッフの方々、教室の生徒さん、友人、家族など、皆様の温かいご支援で無事9日間のグルメフェステイバルを乗り切ることができました。この場をかりて心からの感謝を申し上げたいと思います。本当にありがとうございました。
  
    
森田 英子
フランス菓子・料理教室 Eiko Morita 「エイコモリタ」ホームページ

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白木蓮を訪ねて

3月も終わりに近づいたある晴れた日、かねてからの約束で白木蓮のお花見に知人を訪ねた。
前日の大風で、残念ながら満開の真っ白な花びらの周りは、所々うっすらと色あせてしまっていた。でも、そんなことはおかまいなく、その木全体に漂う気品と凛としたすがすがしさは、圧巻だった。これまで何度もその木のそばに座り、通り過ぎ、眺めてはいたはずなのに。こんなに立派な大木だったのだとあらためて気づかされた。
満開の時期に出会うのは今回が初めてだ。普段はひっそり目立たず、人が見ようが見まいが1年に1度、黙々と満開の真っ白な花を咲かせていたのだった。
 その白木蓮の木は国立市のT氏の農園の一角に立っている。昨年の暮れに夫と農園を訪ねた際、「この木は毎年桜が咲く季節の前に花をつけるのだけど、見る人が誰もいない。だから今度花が咲いたらお花見してやろうよ。」とT氏が言っていた。そして約束通り、二人でお花見にやってきたのだった。
 色々な口実を設けては、年に数回この農園を訪ねている。ある時はポロ葱取りだったり、ある時はトマト、又はさつまいもだったりと手塩にかけた野菜をいただきにおじゃましている。仕事柄、食材には非常に興味を持っているがT氏の作る野菜たちは特別美味しいと思う。
サラリーマンを卒業されるずっと前から野菜作りに励んでいられたのこと。長年の経験から生まれた独自の農法で作られた野菜達は新鮮で、安心で美味しい。
その理由は色々ある。作物の土台となる土作りを非常に大切にしていること。肥料はもちろん手作り。ぼかしといわれている土作りは彼の秘密兵器といってもよい。苗を使わずに、種から発芽させていること。野菜本来の姿を捻じ曲げていないこと。
自然に謙虚で、愛情をもって接している。ご自分の生活を愛して楽しんでいる。浮世離れしたその空間は、お金では買えない宝物のようだ。そしてそんな生き方に共感した人達も集まり始めているらしい。彼の作った野菜のファンも同様だ。
今回は私もほんの少しだけお手伝いさせていただいた。エンドウの棚作りだ。もうすでに芽吹いてツルが伸びてきている。大変だ。早く棚を作ってツルが伸びやすいように助けてやらなければ。そのまま地面を這わせてしまうと葉が密集して空気の通りが悪く、腐り易くなってしまうのだそうだ。エンドウの悲鳴が聞こえるようだとT氏は言う。
人間も全く同じだとその時思った。しかもそのタイミングが大切だ。時期を逸すると手遅れに。へーっ、野菜って人間が作ってあげるものだと思っていたら、それだけじゃない。野菜作りから学ぶことが一杯あるのだ。自然ってすごいものだな。白木蓮もそうだけど、自然に逆らわず黙々と自分の役目を果たしていくそのけなげさに、感動と感謝の1日だった。
 

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2009年 新年によせて

昨年はここ元町に教室を開いてから10周年という記念すべき日を迎えることが出来た。
これも、ひとえに生徒さんはじめ、お客様、友人、家族といった多くの方々が支えて下さったお蔭と心から感謝している。ただの主婦だった私がこんな幸せな瞬間を迎えることが出来るなんて本当に幸運だったとしか思えないというのが実感だ。
色々思い起こしてみるとその間、多くの出会いに恵まれた。
そんな中でも昨年の後半、素敵な出会いがあった。そしてそれをきっかけに私は心から生まれ変わりたいと思った。今まで自分が作ってきたお菓子たちも生まれ変わらせたいと願った。まず、教室名を‘ソルシエール’から‘フランス菓子・料理 Eiko Morita’ という名前に変更した。そしてホームページのリニューアルへと…。こんな風に素敵な人に出会うことによって、より充実したものを実現する一歩を踏み出すことができた。
2009年の私のテーマは ’生まれ変わる‘だ。どんな自分に出会えるか不安もあるが、頑張っていこうと思っている。
そして皆様にも、私の作ったお菓子たちに出会いにいらしていただけたらと心から願っている。

                                            森田 英子 2009年 1月 1日

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私の子育て回想録

ごく平凡な職場結婚だった。今からだいぶ昔、しかも田舎での結婚は、当然のように結婚退社、専業主婦への道が常識だった。私もそれが自分のこれからの道だと何の疑いも抱かず、むしろ夫となる彼との生活への喜びで一杯だった。夫の食事を作り、子供を産んで育児に専念する。母もそうだったし、3歳年上の姉も同様だった。家族の幸せが自分の幸せだと漠然と信じて毎日を過ごしていたと思う。そして子育てが一段落したら、夫と静かな老後を二人で送ろうと思っていた。人生ってそんなものかしらと気楽に考えていた。‘平凡な幸せ’が当時の私の目標だったし、それは今でも変わらない。

 やがて長女を授かり、念願通り母となった。出産、産後を約1ヶ月実家で過ごした後、我が家へ戻り、いよいよ自分自身で育児をしなくてはならなくなった。私は子供の頃から世話好きで、ご近所の赤ちゃんを預かり、よく子守をしていた。それが遊びのようなものだったので、子育てにあまり不安はなかったものの、毎日24時間赤ちゃんと一緒という生活は初めてだ。それも家事をしながら。泣くはぐずるは、ウンチもすればおしっこもする。子供の頃の遊び育児とは違う。そんな生活の中で、母の手助けとアドバイスが私の心の支えであった。そこで私も、出産を間近に控えた長女に向けて、自分自身の子育て時代を書きまとめる気持ちになった。そしてすでに、長女は私の助けを必要としていた。

当時の私と今の長女との決定的な違いは、情報量の多さだ。現代は情報が溢れすぎていて何を信じてよいのかわからないというのだ。本当に驚いた。良いことも、そうでないことも活字になり本になってしまうと、全てが正しいことのように思えてしまう。時代も変わり、新しいもの、便利なものが次々と登場してくる中で、昔のやり方は古くなってくる。そうすると私たちおばあちゃんになる側も、“時代遅れ”という言葉に撃退され、なんだか自分のやり方も時代遅れなのかしらと自信をなくしてしまう。
でも、価値観は違っても、昔から今へ伝えなければいけない大切なことが沢山ある。そう、私たちにしかできないこと。どうやって子供と向き合うか。それは自分自身と向き合うことでもある。全力で子供を育てる。でも自分自身も失いたくない。そうだ、“自分の生活の中に育児を組み込もう”と当時の私は考えた。それをどういう風にしていったのかは、次回お話しします。

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